2004年6~7月 アメリカ(ダラス・フィラデルフィア・ニューヨーク)

1.『総合報道』紙 第1470号(2004年8月5日号)掲載寄稿文
2.道中記 2004年6月28日~7月10日
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1.『総合報道』紙掲載寄稿文
米国の主要都市視察、『建築』と『広告物』景観
変化し続けるNYタイムズスクエア

 景観法の施工とそれに伴う関係法の整備による屋外広告物法の改正案が6月10日、参議院で可決された。これにより、現行の業者届出制に代わって業界の悲願であった登録制が実現する。我々、屋外広告業者としては新しい屋外広告物制度の普及啓蒙活動に努めなければならないと実感している。  そういう背景もあって、私は今回建築家で義理の息子である秋吉正雄君と米国の「建築景観」「広告物景観」を視察するため、6月28日から7月10日まで渡米した。   

「建築景観」は、20世紀中頃の建築家で巨匠といわれた、ルイス・カーン氏が手がけたテキサス州フォート・ワースにあるキンベル美術館と、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライト氏の作品でペンシルバニア州にある落水荘で、この2つをメインに各地の有名建築物、数カ所を見学した。また、ワールドトレードセンターの跡地なども見て廻ったが、悲しい気持ちだった。

 一方、「広告物景観」はNYのタイムズスクエア。訪れたのは、総合報道主催のサイン研修ツアー(00年)に参加して以来なので4年ぶりになる。私は、88年、93年、95年にもタイムズスクエアを訪れているが、サイン研修ツアーで屋外広告物を視察する際のポイント等を教えていただき、大変感謝している。

  2000年当時と比較して気がついたのは、3タイムズスクエアビルが完成し、ロイター通信とプルデンシャル生命が広告を出稿していたこと。両社ともにLEDを使った多彩なビジュアルが印象深い(ロイター通信のあるビル頭頂部にはテロップが流れるスペースもあった)。  
  4タイムズスクエアのブロードウェイ側の「NASDAQ(ナスダック)」は健在で、円筒形にカラフルなLEDによるビジュアルを懐かしく感じた。また当時は更地だった5タイムズスクエアには造形物のある広告が出現、目を引いた(残念ながら何の広告かはわからなかった)。
  さらに、6タイムズスクエアは1タイムズスクエアの背中越しにビルがそびえたち、上部に広告スペース(米国4位の持株金融会社、WACHOVIA社が出稿)も見られた。ただ、1階スペースはまだ工事中だったが・・・。  
  また、2タイムズスクエアは、当時LEDによる動画の広告は一つだけだったが、コカ・コーラやサムスン、HSBC(ロンドンに本社のある金融会社)の3社がLED方式へと変わっており、今春以降に設置されたと思われるコカ・コーラのビジュアルは鮮やかで、いまでも印象が色濃く残っている。
  なお、従来からタイムズスクエアにある日清のカップヌードルやJVC、LG、リズ クレイボーン、コダック、フリートバンク等、また特にミスター・ピーナッツが健在で一安心した。ただ、渡米当時に全盛を誇っていたドット・コム企業の広告はほとんど見かけなかった。  このほか、NY市のクイーンズ区で見つけたテレホン・キオスク(ビジュアルはNYメッツの松井稼頭央選手)、地下鉄ガードに設置された巨大広告看板は、日本にあまり無いので印象強かった。

   さて、余談だが今年からヤンキー・スタジアムの外野フェンスへ赤地に白抜き文字で設置された「読売新聞」の球場広告は、現地の人から『あれは何(の広告?」なのか』と聞かれたぐらい、あまり理解されていないようだった。

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2.道中記

  今回、往復の飛行機はH.I.S.に依頼。レンタカ-はHertzに手配。初日のホテルのみ事前に予約(あとは現地で決める)の自由旅行であった。。 
1日目(6月28日、月)
 日本時間15:30、成田発、NORTHWEST第28便サンフランシスコ行きで飛び立つところ、ダブルブッキングだとわかり、エッとなるも、18:20発AMERICAN AIRLINESのダラス直行便にふりかえられた。その分、所要時間が短縮され、とくした気持ちになったが、ファ-ストクラスへの振り替え交渉はならず! ダラスまで10,322㎞。
 ダラス・フォ-トワ-ス国際空港、同日15:43着陸。
 レンタカ-のMiles outは5781km。9年前の大陸横断の時代は、レンタカ-にはまだナビの装着がなかったが、今回はある。Dallas・Ft Worth 空港の北側ぞいのJohn Carpenter (州道?114号)をずっと東へすすみ、18:30頃、Clarion Inn & Suites に着く。住所、5000W. John Carpenter , Dallas-Ft.Worth/Irving。途中夕立に見舞われたが、あがっていた。夕食は中華をル-ムサ-ビスで摂る。

2日目(6月29日、火)
 今日の目的はフォ-トワ-スのキンベル美術館と、ダラス市内のケネデイ・メモリアル地域である。
 8:30,Clarion発。
 州道114→121→インタ-ステイツ35W→downtown、の手前でおろされた(by ナビ)。 
 9:40,Kimbell Art Museum着。住所、Will Rogers Road between W.Lancaster Av. and Camp Bowie Blvd, Fort Worth (または、住所冒頭が333 Camp Bowiw Blvd,---以下同じ)。
 かまぼこ型の棟が5棟。中の天井もかまぼこ型の内部。光が軟らかい。照明によるものではなく、二種類の自然光による。建物設計、ルイス・カ-ン。1969~1972年。コンクリ-ト壁面は打ちっぱなしに見える。’LIGHT IS THE THEME' という本を買う。秋吉正雄君から、『アメリカ建築案内』(東京大学建築学科・香山研究室編)と『ルイス・カ-ンとはだれか』の2冊をもらったが、門外漢の私には入門書となった。館内で11:40から食事を摂って、12:30に退出した。
  インタ-ステイツ30EAST→同35E,north→exit428E(?)Reunion Commerceで降りた。
  14:00ころ、Six Floor Museum at DEALEY PLAZA着。言わずと知れたUSA第64代ケネデイ大統領狙撃銃弾が発射されたというビル(Texas School Book Depository)の6階である。そのコ-ナ-は立ち入れなかったが直近まで行ける。住所、411, Elm Street。 その日、1963年11月22日、私は阿佐ヶ谷の下宿の部屋でそのニュ-スを聴いた。 外へでて、Grassy Knollを歩き木製の塀まで行ってみた。カ-ブしている現場の道路へおり、白ペンキのバッテン(X点)に立つ。 鎮魂である。 Kennedy Memorialや、The Conspirancy Museumには行かなかった。これで充分である。
 15:20,発つ。 現金がなくなりciti bankを探したり、またsixfloorビルにもどって写真を撮ったり、budweizerを買ったりして、高速を使わず一般道(多分、183,114,)で17:30、Clarionに戻った。
昨日の空港から103miles走った。夕食はタイ料理をル-ムサ-ビスで摂った。汗着をコイン洗濯・乾燥機に放り込む。

3日目(6月30日、水)
今日は7:30,ダラスを去り、東へ向かう。泊まるところは未定である。114→183→インタ-ステイト30,east、とたどる。
9:00,exit110で休憩。ここはCumby,なる所。
11:00,exit212で最初のガソリン給油。プレミアム。満タン、約18ガロン、$17.87。
11:30頃(?)、Texarkana通過。テキサス州とア-カンソ-州の境からア-カンソ州に入る。
11:05~14:00 大休止。
14:10頃(?)ア-カンソ-州の州都、Little Rock通過。
  ここはダグラス・マッカ-サ-の生地である。1995年、オクラホマシテイで「マッカ-サ-通り」があったので、てっきり彼の生まれはオクラホマシテイとおもっていたが、違うようだ。
ここでinterstate30号線から40号線ににのる。 
15:40,exit216、コンビニで休む。
16:50頃、大河ミシシッピ-川にさしかかりおおきな橋をわたる。右がわ前方に大都会の高層ビル。メンフィスである。テネシ-州になった。今日の走行はここまでとし、exit1で降り、川沿いに南へ3ブロックくらい行って左手のComfort inn Downtownにすべりこむと、なんとsold-out。次の、Sleep Inn at Court Squareに部屋があった。17:20頃到着。住所、40 N. Front Street。 421号室。 きょうの走行距離、468miles, 748.8km。 夕食は中国料理レストランへ行った。
  Menphis、とは、しゃれた名の都市名だ。古代エジプトにあった都市もmenphisだ。人口64万人、郊外をあわせると120万人(2000年)。ロックンロ-ルの発祥地。パイオニアのサム・フィリップスの録音スタジオ、現サン・スタジオがある(←それ自体あまり私はくわしくない)。エルビス・プレスリ-が成功した都市(明日行く)。1968年マ-テイン・ル-サ-・キング牧師が1966年4月4日、暗殺された都市(ロレイン・モ-テル)。 フェデラルEXPRESS社(航空貨物最大手)の本社がある。

4日目(7月1日、木)
 7:40,SleepInn発。
 8:10~8:40、Elvis Glacelandにたちよる。ロックの王様エルビス・プレスリ-が両親とともにミシシッピ-州から移住してきて住んだ家がエルビス・グレイスランドとして保護、公開されている。戦後黒人スラム街のリズム・アンド・ブル-スの様式をとりいれた白人歌手。ここで、5月に生まれたばかりの初孫・正晴のためにベビ-服を買った。
 40号線を一路、東へ。9:50,EXIT56で給油。21.892ガロン(約80リッタ-)44.42ドル。雨になってきた。
 11:35~11:55,EXIT148で休憩。
 雨の中、州都ナッシュビルNashvilleにさしかかる。EXIT201をすぎて、white bridgeをあたまに1.5マイル渋滞。それを抜けてもまた、渋滞。キングサイズの橋桁の運搬のためと思われた。渋滞をぬけるのに、12:50から13:20までかかった。しかも雨が続く。ナッシュビルは、country music の nashville sound
の名がある。都市圏人口190万人くらいある。大都会だ。ついでに、チャヌガ・ヌ-ヌ-のチャヌガもこのへんだろうかと、地図を見ると南西(  )kmのあたりにある。テネシ-ワルツはこの州、テネシ-州の州歌である。テネシ-州と言えば、あとテネシ-河谷開発公社(TVA)が有名だ。さっきのア-カンソ-州といい、このテネシ-州といい、1人あたりの所得額は全米のなかで下位にあり、ひやかされるらしいが、骨太の人間も多い。ナッシュビルのとちゅうから、40号線は大きく北にむき、また東へ向くが、我々はこれと別かれ、interstates65号線を北上た。
 13:45~14:20,EXIT98で昼食にした。Deli。
 15:00ころ、テネシ-州からケンタッキ-州に入る。
 15:50~16:05,EXIT65で、休憩(MACでトイレ)。
 17:00,ルイビル(Louisville)のてまえ、exit121でおり、17:10,QUALITY INN & SUITEに投宿する。住所、76 BrooksHill Road,Louisville。 ミシシッピ-州からきた客のおじさん二人とはなしをしたが、自分たちはいなか者だから勝手がわからねえとか言ってぼやいていたが、明るい人たちだった。
 17;00と書いたが、ケンタッキ-州からは東部時間になるので、18:10である。
 今日は680マイル走った。運転時間は9時間20分。(正味7時間30分) 夕食はスパゲッテイとミ-トボ-ルをでまえで摂る。