2012年トルコ

2012年、9月27日(木)
 11:55,成田・第一タ-ミナルよりトルコ航空TK-0051、にて旅立つ。
  乗るまえに、係員からプリエコ(Premium Economy)を交渉されたので、¥24,000.-プラスで乗っかる。
 同日、19:15,イスタンブ-ル・アタチュルク空港着。 ガイドのアリ氏が出迎える。
 空港で¥20,000円を454.40トルコ・リラに両替する。ここから両替料(コミッション)18.18リラ、税金0.91リラを差し引かれ、435.31リラが手取り。
 ホテルはバスに乗って、オルタキョイ・プリンセス(ORTAKOY PRINCESS)・ホテル。第一ボスポラス 海峡橋の根元にあった。住所、DEREBOYU CAD. NO:36/38 ISTANBUL 80840。




2012年9月28日(金)
  8:00,バスにてトロイへむけ出発。約345Km先。
  東京駅・丸善で買ってきたトルコ語の地図に通過時間を書き込みながら進む。
  E-80号線を西へ。7:31,Tepecik、 7:47,ギリシャ方面へむかう本線と別れる。
   8:05,Silivri、D100号線となり、左がマルマラ海となった。

【 マルマラ海。ボスポラス海峡とダ-ダネルス海峡に挟まれた内海である。】
   Marmara Ereglisiという街を通過。
   9:30,TEKIRDAG通過。9:45~10:05,トイレ休憩。10:40,Malkara通過。
   11:00,あと40kmも行けばギリシャとの国境という、トルコ軍の基地のあるKesan(ケシャン)で   大きく左折し、南へ向かう。

      【 ケシャンで大きく南へ向かう 】
 コン先はゲリボル半島である。このあたりは、第一大戦の激戦地でオ-ストラリア軍の犠牲が大きかったところで毎年夏になるとオ-ストラリアから多くの鎮魂客が訪れるとのことだ。
 ダ-ダネルス海峡に望むゲリボリに到着した。

    【 このフェリ-で海峡を渡る。】
 ゲルボリの食堂で魚料理の昼食を終えたところで、いままでのことを記録したメモ帳を紛失したことに気ずく。 そのため、昨夜の散歩の細かいところを思い出せないで困っている。
 しかたなく、13:05,ゲリボル(Gelibolu)からフェリ-に乗船、狭いダ-ダレルス海峡(東西60km、南北600m~7km)を南西方向へ斜めに横切る。

    【 ゲルボリよ、さらば。】

     【 東北方向を望む。イスタンブ-ル方向。】  

    【 13:20 アジア側のチャナッカレ港 】

  13:56,バスで走りを再開し、25分くらいでトロイ遺跡へ到着した。

     【 トロイ遺跡の入り口。右へ曲がる。】

 トロイ遺跡 14:20~15:30  

 

 【 遺跡入口にある木馬像は、1975年、トルコの工芸家イゼット・セネムオウルが製作した。】

 ハインリッヒ・シュリ-マン(1822~1890)が存在しなかったら、われわれはトロイ遺跡にめぐりあえなかっただろう。
 またホメロスが存在しなかったら、我々はギリシャ神話にであわなかったであろう。ホメロスはこの先、イズミ-ルの出身である。
 古代ギリシアの詩人ホメロスの叙事詩『イ-リアス』にでてくる都市トロイは実在すると直感し、発掘資金を調達し、ついに、1873年、トロイを発見したのは、シュリ-マンである。
 かれは、のち、1881年、ミケ-ネで「アガメムノンのマスク」とよばれる死者用の黄金のマスク(紀元前1500年頃のもの)を蔵した竪穴式石室も発見している。かれは古代ギリシャ文明の遺跡をよみがえらせた。しかし、彼の発掘方法は当時のオスマントルコ政府との協定を破ったり、遺物を私蔵化したり、現代では顰蹙をかうものであった。

 彼のあとの発掘者たちは、トロイ遺跡の下には何層にもわたり、異なる時代の地層が積み重なっていることを発見した。トロイ(9層)。そこから古代ギリシャ文明にさきがける文明があったことがわかる。ミケ-ネ文明である。

 

 

 これらの石塁が第何都市時代のものか、不勉強でわからない。
 15:32、トロイを去る。
 16:35、Edremit湾を望むサ-ビス・エリアで休憩。

   【 エ-ゲ海 (エイドレミット湾)】

   【 ゼウスが住んでいた伝説の山 (?) 】

17:20、Edremit湾北岸の、ホテルADRINA health & spa、に泊まる。プライベ-トビ-チのある豪奢なホテルであった。 旅行会社のガイドブックには、場所はアイワルク、と書いてあるが違うと思う。エドレミット市である。

    【 ホテルADRINAのプライベ-ト・ビ-チ 】

2012年9月29日(土)

 7:35、ホテル発。
 
 さて、今日の行程は、エフェソスを訪れ、その後は、内陸へ入りパムッカレまでの行程である。
 バスはEdremit湾を南西にすすむが、右手イオニア海の色は群青に濃く、避暑地といった趣である。

【 この写真の時間は日本時間のまま。7時間引くとトルコ時間である。】

        【 レスヴォス島。ピンボケ。】
 左に塩田が続いた時、右の海の沖に、レスヴォス島(Lesvos、英語ではResbos)がうかぶ。この島は、ここから目と鼻のさきに見えるが、レスヴォス島はギリシャ領である。ギリシャとの国境線は、トルコ側海岸ギリギリを走っている。この島は、女性同性愛者の意味のレスビアンの起源である。だが、レスヴォス島の人々は、この名を嫌い、ミテイリアニ島とよんでいるとのこと。(wikipedeaより)
 7:40,小休止。
 8:50ころ、アイワルク市の港湾を通る。

  ここも群青の海水であった。 石油精製所が見える。トルコは東部で石油が出るがイラン、シリアからパイプラインで石油を輸入している。ガソリン価格は1リッタ-4.5トルコ・リラで世界で最も高い(?)。
 ガイドのアリさんが、山田寅次郎の話をはじめた。かれは、トルコで最も有名な日本人であると。

     【 なんかの工場。】
 やがて左方向に、ペルガモン遺跡に至る分岐があるはず。それはわからなかったが、せっかくここまで来て、行けなかったのは心のこりである。我々は、1990年6月、東西を隔てていたベルリンの壁が崩壊(1989年11月)した直後、東ベルリンのペルガモン美術館に行き、ペルガモンの大祭壇を見たことがある。ペルガモンはB.C.3世紀から、A.D.2世紀まで栄えたヘレニズム文化時代の年である。ここの「ゼウスの大祭壇」がベルリンのペルガモン博物館で復元・展示されているのである。19世紀帝国主義時代のかっぱらい主義にはここでは語らない。
 やがて高規格の高速道路にはいる。
 9:18、トルコ第三の都市イズミ-ル(人工400万人、旧スミルナ)の都市圏に入る。

        【 イズミ-ル市 】
 10:25、「セルチュック」で高速道路をおりる。エフェソスの最寄り出口。
 しかしエフェソスの遺跡へ直行ではなく、11:35~13:00まで皮革製品の工場件売店へ連れ込まれ、高額のジャンバ-を買わされた。ロエベにも納品しているとかいうKIRCILAなるブランド品であったが。
 13:15~14:10、昼食。ザクロのジュ-ス。トルコ帽子を売っていたがそれは買わず、EFESOSの名入りのCAPを飼う。
 14:15~30、アルテミス神殿跡地。
 荒れ地に神殿を支えていたギリシャ風主柱が1本立っているだけ。
アルテミス神殿はオリエント古代世界七不思議の一つ(エジプトギザのピラミッド、バビロン空中庭園、オリンピアのゼウス像、ハリカルナックスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの灯台、とともに)と言われるが、何が七不思議かよくわからない。だが、アルテミスそのものはギリシャ神話の太陽神のアポロに対し、月の女神である。ただし小アジアでは、胸にたくさんの乳房を持つ地母神となり、エフェソスの遺跡から出土している。エフェソス博物館に公開されているそうだ。アルテミスという社名の会社が日本にあり、そこと我が社はコンピュ-タ-・ウィルス対策で契約した時、アルテミスの名を初めて知ったくらいである。

        【 アルテミス神殿あと 】 

  【 ようやく1:35,エフェソス遺跡入口ゲ-トに至った。】
 そもそもエフェソスとは、「431年エフェソス宗教会議」という歴史的事実で知ったので、遺跡よりもその会場、場所そのものに興味がある。結論から言うと、その場所がエフェソスのどこにあるか、現地で解説がなかったが、それは、帰国後、現地で購入した日本語ガイドブック『エフェソス』により、聖母マリア教会であるとわかった。その場所は、大劇場から港大通リを進んで右手である。そこは通らなかった。残念なことをした。
 遺跡そのものには大感動した。入場すればいきなり遺跡群である。

          【 バシリカあと 】

           【 オデオン 】
  オデオンとは、市政を協議する場所であり、音楽、朗読のの催し場である。踊り場の上に10列段、下に13列の座席があり、1500人収容だったとのこと。 小型の大劇場とおもえばよいと思う。

         【 イオニア式柱頭 】

        【 ポリオの泉 】

         【 クレテス通り 】

         【 ヘラクルス門 】

         【 トラヤヌスの泉 】

     【 ケルスス図書館 】

        【 娼婦の館入り口の道しるべ 】

         【 アゴラ(店舗・工房街)あと 】

        【 大劇場付属体育館あと 】

         【 大劇場 】

           【 港大通リ 】
  このさきにあった港は、7世紀、東ロ-マ帝国時代に土砂に埋まってしまったという。エジプトの女王クレオパトラも通った道とのこと。さすれば、エフェソスはクレオパトラ時代(B.C.51~30年)には成立していたということ。
 エフェソスを去るにあたり、トロイ遺跡といい、エフェソスといい、この場を訪れていることが不思議なきもちだった。というのは、ギリシャ文明の東、イオニア海、小アジア、はギリシアから訪れるものばかり思い込んでいたためだ。日本からギリシャは遠いという先入観があり、かつ、ヨ-ロッパ側からものを観る先入観があったためだ。ヨ-ロッパ、ギリシャ経由で訪れているのではないという開放感、身近か感を感じたものである。

  16:00、エフェソスを出発、内陸のパムッカレに向かう。
  途中、17:20~50、SURUTAN HISARという休憩所で休む。

                【 トルコ風チャイ(紅茶) 】

        【 アナトリア高原に深入していく。】

  幻想的な月が上空にうかび、、パムッカレには19:35に到着。
  SPA HOTEL . COLOSSAETHERMAL。
  夕食後、館内で開かれていた結婚式披露宴を遠くから眺める。親戚、縁者、友人を沢山招き、大盤振る舞いの様子。新郎新婦は純白のタキシ-ド、ウェデイングドレスの洋装なるも、イスラムのしきたりにしたがっているようであった。屋内、屋外に人が溢れ、老いた人も、子供も幸せそうであった。

   2日めの行程地図  

 
 9月30日(日)  パムッカレ → コンヤ (現地3日目)
  ホテル発
  パムッカレの温泉にふくまれた石灰石分が形成した「石灰棚」の泉に行く。見た目は純白のクリ-ムだが、水のなかは結構ゴツゴツし、足のうらが痛く歩きにくい。あまり楽しくはなかった
  古代ロ-マ遺跡、「Hierapolis」。ロ-マ遺跡をみるのは、昨年(2011年)の1月、モロッコでのヴォリビリス以来だ。
  9:35,パムッカレとヒエラポリスを立つ。
  方向は東へ、D320号線を進む。このあたりデニズリ市(denizli)で、キリム織物の集積地である。
  トルコ語で「TEKISTIL」なる表示がある。英語のTEXSTILE.で、キリムの織物工場のことであろう。
  トルコに来る前に『 キリムへの旅、トルコへの旅』(渡辺建夫著、2006年、木犀社)という本を読んだ。その物語のしゅっぱつてんは、デニズリである。
 10:27,CARDAKという集落を通りすぎると右側に塩湖が現れた。地図に「Aci Gol」とある。2006年にアゼルバイジャンを訪ねた時、アゼルでは湖のことをゲルとよんでいた。夏、乾燥し、塩化ナトリウムが取れるとガイドの説明があった。

 


 

 

10:00~11:25,ドライブイン「ANATORIA」で休憩。

  【 11:00~25,ドライブイン「ANATORIA」でけしの実を買う。】
 芥子の実というとなにやら麻薬かというきがするが、トルコではデザ-トに用いる。収穫は6月。
 

         【 ヨ-グルト 】

   【 ナスレッデイン・ホジャの小話を買う。】
 走りを再開。

              【 乾燥地帯である。】

 【 大理石 採掘場。いたるところ、やまを削って採取。】 地震帯でもある。

            [ 通過する村落 ]

 やがて、D320号線は、D300号線につきあたり、右折し、コンヤを目指す。

  コンヤまでまだ145Kmくらいある。

    【 13:10~55、Sultandagiという集落で昼食。】
 ホジャの造形があり楽しめた。
 13:18,Akshehir通過。ここが、ナスレッデイン・ホジャさんの没地である。かれは日本でいえば、一休さんにもたとえられる頓知者、知恵者だ。たとえば、つぎのような話。

 



 地図によると、今まで通りすぎてきた左手奥に大きなアクシェヒ-ル湖という湖がある。(つくスペルではAkshehir Golu.の oとuにウムラウトがつく。ゲルというような発音であろうか。)

            【 Llgin  通過 】

     【Kadinhani という町に入ってゆく。】

       【14:55,コンヤのホテル、RIXOSに到着。】

         【 コンヤ市街地遠望 】

           【 メヴラ-ナ博物館 】

         【 そのアルメニア教会風の塔 】

 

       【 インジェ・ミナ-レ神学校アト。 】
 インジェ・ミナ-レとは細い尖塔の意味。

         【 コンヤ市街 中心部 】

         【 メヴレヴィ-教団のセマ      】

 

  コンヤについてまとめる。
  歴史的には、bB.C.1万年前くらいのリュベクテ(?)の神殿が、シリアとの国境近くで10年前に発掘された(ガイド・アリ氏による」)。コンヤ県東南部チャタル・ホユックには6000年前の人類の居住アトが見られる(ブル-ガイド「トルコ」2012年、P.275)
  中世は、セルジューク・トルコ(1038~1157年)の首都であった。東地中海を抑えたため、ヨ-ロッパとエルサレムの交通路を断った。そのためヨ-ロッパに「聖地回復」の十字軍がおきた原因となった。
  昨日おとずれたエフェソス遺跡のあるセルチュックと発音がにているが、どんな関連だろうか?
  コンヤ県はトルコ81県のなかで最大面積を誇る。トルコの面積は78.5万平方キロで、日本の約2.1倍。
  コンヤ一帯は冬は積雪1mにおおわれるという。

10月1日(月)
 今日は、215Km先のカッパドキアへ向かう。
 7:30,ホテル発。依然としてD300号線を東へ進む。

【 正面にハッサン山。3286m。休火山。ピンボケになってしまった。】
 カッパドキア地方に入った。カッパドキアという行政単位は無く、5県にまたがっている。
 標高は1200~1300mで、歴史的には、B.C.1750~1200年はハッテイ、ヒッタイトの支配下。ヒッタイトはマリギュア(?)により滅ぶ。古代ペルシア時代のB.C.5~6世紀ころカパドクヤ(カッパドキア)という地名が決まった。美しい馬の国、白馬、の意味。B.C.333年アレキサンダ-の支配、そのあとペルガモン支配。ロ-マ帝国支配。東ロ-マ帝国の支配。セルジュ-ク朝の支配。モンゴル帝国によりシルクロ-ドが不便になり、シルクロ-ドは海のシルクロ-ドに道を譲った。(ガイド・アリ氏)

   8:50~9:15、Sultanhaniの隊商宿(トルコ語でケルヴァンサライ)で休憩兼休憩。保存のよい大型の隊商宿である。城のようである。隊商宿はアゼルバイジャンのシェキでも見た。CD3枚買う。54リラ。

     【 てんさい(ビ-ト、砂糖大根)を満載のトラック 】

         【 製糖工場 】 

 【 帰りのトラックは、テンサイのカスを積んで帰る。牛の飼料になる。】
 なお、牛は化学肥料も食べるが、羊は草しかたべないので、羊のフンは有機肥料であるとのこと。
  9:45頃、ベンツの工場を見た。

【 9:50,AKUSARAY、通過。アクサライのサライとは、キャラバンサライのサライのことか?】
 この一帯、小麦収穫は6月頃。ぶどうが取れ、ワインも有名。だが、じゃがいもは20年前、カボチャは5,6年前より取れるようになったとは、聞き違いか?実を羊、牛の餌とするために。
 ラクダのレスリングがある(?)。
 犬は、カンガル犬というオオカミに強い犬がいるようだ。

 

 

 

  【 10:45,NEVSEHIR(ネヴシェヒ-ル)を通過。】

     【 なにやらカッパドキア近しの、風景 】

       【 AVANOS(アワノス)の町へくだって行く。】

  11:00~45,AVANOS(アワノス)のシルク・カ-ペット(絨毯)工場を見学。
  トルコの絨毯には羊毛(ウ-ル)の絨毯、ウ-ルコットンの絨毯、シルクの絨毯などの種類がある。ねだんはこの順番で高くなる。羊毛(ウ-ル)のはカッパドキアで作られ、目が荒いがやわらかい。ウ-ル・コットンのは丈夫なので床に敷かれる。 シルクのは、壁掛け、タペストリ-に用いられ、カイセリ、ヘレケとともにアワノスで作られる。ヘレケのタペストリ-は宮殿用に作られ、一般には手にはいらないという。

  なるほど、お蚕から生糸をとっている。

        【 染色 】

    染色のいろも豊富。

 

  この工場は、2003年、日本で展示会を開いたようだ。

   【 壁にトルコ語の分布図が掲げてあった。】
  昼食は、ギョレメ村のレストランへ向かう。

        【 奇岩がみえてきた! 】

        【 いよいよ、カッパドキア。】

   ギョレメの村のレストランで、昼食。食事はだいたい、口に合う。壺焼きケバブだった。
 なお、シシカバブは子羊ラムの料理(?)。

 

 

 

   【 人が立っている所が、ギョレメの展望台。】

          【 展望台からの景観 】

           【 同じく。】
  ウチヒサ-ルへ向かう。

          【 ウチヒサ-ル 】

 

          【 ウチヒサ-ル(裏側)】

           【 同じく。】

          【 鳩の(巣の)谷 】

   【 ハトの餌を買って下さい、という日本語の表示もある。】
 ここの売店で、デジカメの乾電池を買う。
 カイマルクへの山道はけわしかった。刑務所のそばを通った。

  カイマクルの地底都市。内部の写真はピンボケだらけでここに載せてない。
 一帯は凝灰岩でできている。規模は、深さ55m。地下8層。各層とも200人程度収容可能。多くは8~9世紀に作られた。ということは、イスラムから逃れるキリスト教徒の時代ということになる。
見終わってまた、カッパドキア奇岩地帯にもどる。

        【 三姉妹の奇岩 】
 明日朝、来ると逆光になるため今日訪れたのだそうだが、曇天のため、そうか?という感じ。

 

   洞窟ホテルで夕食。

          【 洞窟ホテルの個室】

  ホテルの名は、YUSUF YIGITOGLU KONAAGI(ユス-・イットオ-ル・コナウ)。 「Urgup」(ウルギャップ)の標識から下って左手すぐのところ。手前右側に、「TURASAN」というワイナリ-がある。

10月2日(火)
 今日はカッパドキアに滞在である。
 まず、朝5:20,ホテルを立ち、バル-ンに乗る。(帰国後何年かしてここのバル-ンの墜落事故があった。)




 カッパドキアはエルダシュ山(Erdas、1982m)の噴火により形成された。