2010年ウクライナ

屋外広告物視察    7月31日(土)~8月10日(火)

『活力あふれた広告景観に感銘』 (2010年11月25日「総合報道」紙第1678号掲載文に加筆)

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 今夏、東欧のウクライナを訪れる機会があり、屋外広告物を多数視察できた。
ウクライナは日本の約1.6倍という国土面積を誇り、東にロシア連邦、西にハンバリーやポーランド、スロバキア、北にベラルーシが位置する。91年にソ連崩壊に伴い、独立した。

 私が視察したのは、首都のキエフをはじめ、オデッサ、クリヴォーイ・ログ、ザポロージャ。  また、クリミア半島のケルチ、ヤルタ、セヴァストーポリ、シムフェロポリなど。
 屋外広告物は、量としてはおもいのほか、多く見られた。サイズや形態が数種類に規格化され、全体として雑多な印象はなく、デザイン(表示内容)は文字だけよりビジュアルデザインも多く、洗練さを感じた。ただ、動画(映像系)は少なかった。
 しかし、道路占用型の広告物は日本よりもはるかに多く、広告景観としては活力にあふれ、良好な感想をもった。

■自立広告物
 米国に見られるブルテイン型は少なかった。広告物は人の目線の高さを重視し、大きさもコンパクト。道路占用タイプは、道路に突き出したもの、道路中央部に屹立させるものが多かった。
 形態は独創性があり、例えば主柱を直立させるのみならず、傾斜させたもの、Y字形、V字形にさせたタイプも見られた。またユニポールで両持ち(複葉)にさせたもの、3面もちにさせものもあった。3面変換ボードも多数見受けられ、改修工事現場にも遭遇した。
 道路交差点(ロータリー)には、品の良い広告施設を設置している例もあり、また置き基礎による自立広告も時々、見かけた(地震は非常に少ない国のようだが・・・)。広告媒体のブランドは「BIG BOARD」「EURO BOARD」など。

↑  【 ユニポールで両持ち(複葉)にさせた自立広告物  クリボイログにて。 】

■壁面広告/屋上広告
 壁面広告の量は少なかったが、巨大サイズもあり、見応えがあった。
 屋上広告は自家広告はあったが少なかった。特に有料媒体物件は1~2例しか見かけなかった。

↑        【 ユーモアある壁面広告。下は筆者。 】


■橋桁広告/バスシェルター広告
 橋桁広告は、多数見られた。日本は、禁止場所に指定されているが、以前視察したコーカサス同様、旧ソ連圏には多いようだ。バスシェルター広告は近代的なものがなかったが、すでに設置されていた。

■車体へのボディ広告
 バスラッピングはよく見かけた。驚いたのは窓ガラスの4分の3程度まで広告がOKなこと。観光バスへの車体広告は、IJP(インクジェットプリンタ)によるフィルム施工ではなく、マーキングフィルム加工もある。しかし、IJPが広範囲に普及していることは歴然だ。

■ストリート・ファニチャー/工事現場仮囲い
 ウクライナは、欧州圏だからストリート・ファニチャーを多く見たが、工事現場仮囲いはキエフで1つだけ見かけた。

■道路横断幕/突き出しフラッグ
 道路横断幕の広告媒体が非常に多かった。コーカサス諸国でもよく見かけたが、この媒体は旧ソ連圏全体の特徴かもしれない。道路占用に突き出すフラッグは、特にクリミア半島に多く見られ、連続掲出で迫力があった。特に好例なのが、シムフォエーポリ~ヤルタ間。この突出しフラッグと道路占用自立広告物の同時一斉掲出場所がシムフェローポリの空港通りに見られた。

■ネオン
 キエフ市ドニエプル川高台の勝戦記念アーチは夜間になると、赤、白、黄、青のネオンが点灯し、見事。まだ、LEDを使ったと思われる夜間イルミネーションも全土で多様されていると聞いた。

■広告主
 私は、キリル文字を読めないので、判読できなかったが、日米欧の広告も目立った。ラーナ農場(ザポロージャの南。元、コルホーズ)を見学した際、農場主から「今後、もっと外国資本が入ってくることを想定し、力をつけなくては」という見方もあり、今後はさらに外国の広告企業が増える見通しだ。

          【 シンフェロポリの空港通り 】

 最後に「総合報道」紙9月15日号によると、国土交通省は民間資金を活用して国の財源を確保するため、道路空間の利用に着目して、「道路空間への広告のオープン化」も検討していくようだが、私は大賛成。今回、ウクラナイナで見かけた広告物(媒体)が、今後日本でも出現することを期待してやまない。



2.道中記

1日目(7月31日、土曜)
12:25、成田空港をモスクワへ向けて、エアロフロ-ト SU-582で飛び立つ。機体は新しい感じ。
22:20(モスクワ時間では7月31日17:20 サマ-タイム)、シェレメチェヴォ空港新タ-ミナルビルに着陸。 
22:05、タ-ミナルF(旧ビル)より、キエフへ向けて、A(エアバス)321-200で飛び立つ。
モスクワ時間より1時間おそいキエフ時間の22:23、キエフ市街より東40Kmにあるボリスポル空港に降りる。着陸時の機内のwelcome musicは、はチャイコフスキ-「くるみ割り人形」の「コンペイトウのおどり」だった。
23:45、RUS(ル-シ)HOTELに着いて泊まる。バスタブの栓がなかった。

2日目(8月1日、日曜)
早速、9:00~10:45まで、ホテル内で、キエフ・モヒラ・アカデミ-の、キリシエンコ教授の講義をうける。



講義はモロゾヴァさんの通訳で、「ウクライナ一般」、「歴史」、「現状況」、「質疑応答」、にわけておこなわれた。以下、要約。
 「ウクライナ一般」
  ・ウクライナとは、母国(homeland)、の意味。
  ・面積60万3700キロ㎡、日本の1.5倍。
  ・人口はソ連時代の5170万人より減っており、4600万人。理由は、1)チェルノブイリ原発事    故や、経済的理由による、労働人口の転出、である。
  ・他民族国家である。ウクライナ人70%、ロシア人15%、その他15%。(ポ-ランド人、ギリ   シャ人、ドイツ人、ユダヤ人、ブルガリア人、ハンガリア人、、、、)
  ・言語  ウクライナ語(人口の1/3)、ロシア語(同1/4)、、、 
  ・国土  肥沃な黒土、チェルノ-ゼム(チェルノジョ-ヨムと聞こえる)。全世界の黒土の        1/3がウクライナにあり、他はロシア、カナダ、中国北部にすこし。ヨ-ロッパの穀倉       である。過去にはintentionalな飢饉もあった。「A HISTORY OF UKRAINE」(        PAUL ROBERT MAGOCSI)【←スタ⁻リン時代の人災を指す】
 「歴史」
  ・BC.7C. 古代ギリシャ人による植民都市、地中海沿岸
  ・9~14C. キエフ中心に国家
       ウクライナコサックの出現、コサックと日本武人の共通点(武人、詩人、歌人、)と       相違点(
       武士は主君に仕えるがコサックはその点で身分的には自由、コサックは農業するが農       民ではない、相互扶助で団結固い、)
  ・14~17C. 西部はハンガリ-領、クリミヤの一部はジェノヴァの植民都市、大半はポ-ラン       ド、リトアニアの支配、1/3トルコ支配。
  ・18C. 東半分、ロシア領。 西側半分、オ-ストリア・ハンガリ-領。
  ・19C. ロシアトオ-ストリアに挟まれる。圧迫、ウクライナご禁止も。
       シェフシェンコ(詩人)春のチェリ-が咲くころ、
  ・20C. 独立政権、WW1で敗れる?
       ソ連時代、厳し時代、  スタ-リンかヒットラ-かの選択しかなかった。(東欧は       西か東かの選択があった。)数百万人--ソ連赤軍に、数千人--アメリカ支持、大半--ヒ       トラ-支持。
 人口の1/3が死亡。 重工業の発展、東部ドネツク方面。鉱物資源に恵まれ       るも貧しい国。
 「現状況」
   ・1991年、ソ連崩壊により独立。
   ・できるだけ早くEU加入したかったが、EU消極的。
   ・現在、移民の子孫がおおく、国民のアイデンテテイは弱い、一方、コサックの精神的伝統は    残っている。
   ・2004年、オレンジ革命。
~1240
10:45、講義おわる。

バスに乗り、市内研修に出発。まず、ペチェル-スカ・ラヴラへ
向かう。


    【  市街地 】 
 

 【 ペチェル-スカ・ラヴラの前の通り 】

11:10~13:35 ペチェル-スカ大修道院 Pechersk Lavra
 1051年創建。
 1051年といえば、ウラジミ-ル1世がギリシャ正教に改宗(989年)してから、すでに60年を経過した、ヤロスラフ賢公(1019~54)の時代で、キエフ・ル-シの破竹の時代である。ソ連社会主義時代にはすたれていたが、現在は復活し、ロシア正教ウクライナ支部の総本山である。   

  
    【 表門。上に三位一体教会がある 】



     【 表門の右側に、壁画がある。 】


      【 入場してから、三位一体教会をふりかえる。 】

   
        【 ウスペンスキ-大聖堂 】 

ウスペンスキ-大聖堂はまぶしい金色屋根でけばけばしい。圧倒される。
ウクライナの地は、古くは、スキタイ文明の地である。スキタイ文明といえば、金(金)である。それもあって、このようにけばいのであろうか。
事実、このウスペンスキ-大聖堂の背後にある歴史文化財博物館でそれにお目にかかる。
そこでは、三つの部屋をガイドされた。                             ①GOLDSMITHERY RELICS ON THE TERRITORY OF PRESENT-DAY UKRAINE OF       BRONZ-EARLY IRON AGE 1 SHOW ROOM                      二つ目、ここがハイライトである。②ペクトラ-リ(PRCTRAL)ユネスコの20世紀最大の発見物とさせれるスキタイの黄金の首飾りが展示されている。重さ1148グラムをまじかで鑑賞。三層の輪廻図がほられている。BREAST  ADORNMENT。                        ③ユダヤ教工芸品室。このあたりユダヤ人が多かった。  12:35、退室。

・12:55~。下の教会(LOWER LAVLA)とよばれる「十字架昇天教会」。 


その地下墓地(ペチェ-ルイ)へ、ロ-ソクを灯して降りる。薄暗い中にガラスケ-スに収められた118体のミイラ化した僧侶を拝む。13:20、退出。
・「苦しみの道」を登りバス通りに出る。

13:40~15:05 昼食。レストラン・ツア-ルスイケ・セロ。



15:15~15:30、独立広場に行く。